だいぶ時期遅れで変な角度のソンクラーンの話

4月上旬、私は必要あって「ソンクラーン」のタイ語の綴りを調べておりました。

日本でも「水かけ祭り」としてそこそこ有名なアレです。

ja.wikipedia.org

 

もともとは仏暦の正月のお祝いで、年長者や仏像にお清めの意味で少量の水をかけるだけだったのがバケツだのホースだのを持ち出してぶっかけまくるお祭りに発展した、とか

リゾート地行き航空便にはでっかい水鉄砲と防水ポーチをかかえた外国人観光客が乗ってくる、とか

スピード超過と飲酒運転が爆増するうえ走行中バイクも水を被ることがあるので期間中は交通事故発生件数が跳ね上がる、とか

今年はCOVID対策で禁止されていた水合戦がバンコクで盛大に行われて警察が出動した、とか話題はいろいろあるのですが、そういうのはおいといて綴りの話をします。

 

ソンクラーンは英語表記でSongkran、タイ語表記では สงกรานต์ となります。

このタイ文字に発音記号をあてるとこんな感じです。

 

タイ文字は指で追いながらなんとなく音読でき、正しく綴れる単語は指で数えられる程度、というレベルの人間ですが、この綴りを調べあててまず気になったのは一番最後の読まない字、「ガーラン」です。

 

ガーラン

ガーランとは黙字記号 ( ์ ) がついた発音されない子音です。母音字がつくこともありますがどうせ読まないのであんまり気にしてません…

(この黙字記号自体を「ガーラン」と覚えていましたが、タンタカートไม้ทัณฑฆาตという名称があるので慣習的な呼び方なのかもしれません。)

これが外来語についていると、タイ語に入るときに省略された元の語の音や綴りが反映されていることが多いです。

常夏の国では欠かせない แอร์(エアコン)は英語の air が元で発音は「エー」に近い音ですが、r を表す ร に黙字記号が付いて綴られることで air から来ていることがわかりやすくなっています。

初めてタイ文字を習ったときは「読まないんなら書かないでくれ…」と思いましたが、便利なのがわかってからはガーランが付いているとかえってちょっと嬉しいくらいになりました。

 

ということで สงกรานต์ の末尾の t は読まないため「ソンクラーン」となります。

上の例は英語でしたが、ガーラン入りの外来語にはサンスクリット語語源のものが多くあります。

特に月の名前や曜日の名前など暦関係の単語はガーランだらけで、สงกรานต์ もそれに漏れずサンスクリット語由来です。

 

上のWikipedia記事にあっさり出てくるように、元になったサンスクリット語は 'saṃkrānti' で、タイ語では読まない t がちゃんと入っていることがわかります。

 

saṃkrānti

さて、入門レベルのまま開店休業中とはいえちょっとだけサンスクリットをかじった者としてはこっちももう少し調べてみたくなるもので、見た目から連想したのが下の2点。

 

① samは動詞の前について複合語を作る接頭辞(e.g. saṃ-√pat「達する」)として頻出なので、この単語も sam + 何らかの動詞 の形なのか?

②末尾の -āntiは、動詞の直説法現在三人称複数の末尾に似ている。タイ語では行事の名前だしWikipediaの日本語も「移動・経路」と名詞だが動詞が活用した形に由来しているのかも?

 

復習の始まりです。

開くの久しぶりになっちゃったな…と反省しながら教本を行ったり来たりして調べてみました。

www.shunjusha.co.jp

 

 

②のほうから手を付けたところ、直説法現在三人称複数の末尾は-antiで、-āntiと長いのは別の形でした。うろ覚えの勘違い… 14sipsee14.hatenablog.com

e.g) √ruh(成長する)→ rohanti ([P] Pres.pl.3rd)

 

じゃあこの末尾部分は何なんだという話ですが、別の章に「動詞に付いて女性名詞をつくる接尾辞 ti」というのがあったので、恐らくこれかなと暫定候補を定めました。

こいつは動詞の「過去(受動)分詞を作るときに ta をつけるのと同じ形」に付くとのこと。

 

①の通りsaṃが接頭辞だとすれば、動詞語根由来の部分はkrānなので、過去分詞がkrānta になる(そしてsaṃを前にとることができる)ような動詞があればぴったりですね。

 

代表的な動詞の活用一覧表が載っている『初心者のためのサンスクリット辞典』で調べてみたら(自力で思い出せるような語彙力はとてもない)、ちゃんとありました!

www.kinokuniya.co.jp

 

「歩く、近づく」を意味する√kram の過去分詞がkrāntaという形になります。

 

あとは saṃ-√kram という組み合わせの動詞句が発見できればソンクラーンの由来に迫れそう…

手元の教本の末尾の語彙集には載っていなかったのでオンラインで引けるモニエルの梵英辞典を見てみます。

www.sanskrit-lexicon.uni-koeln.de

 

saṃ-√kramは 'to come together, meet, encounter...' ということで √kram 単体とあんまり変わらない…

前綴り+動詞にはよくあるパターンではあります。

 

saṃkrānti も調べました。'going from one place to another, course or passage or entry into...' と、Wikipediaにあったとおり「移動・経路・通過」といった語義が先に来ています。

そして天文分野での語義として 'passage of the sun to its northern course'というのがありました。太陽が北側の経路を取るようになる=牡羊座の位置に入る、春分のこと。

「移動」を意味するsaṃkrānti がこの特定の移動現象を指す語としてシネクドキ的に使われたのかなあ、と想像がつきます。

 

saṃの部分

よく見ると接頭辞 sam は動詞についたときに saṃ と形が変わっています。

連声(音変化)によって語末の m は子音の前で ṃ になります。この ṃ は「アヌスヴァーラ」と呼ばれ、種々の鼻音の代用として使われる日本語の「ん」のような存在です。

直後の子音に対応する鼻音の代用として使われていると考えて saṃ-√kram では k と同じ位置、つまり軟口蓋鼻音 ŋ で読めばよいわけです。

(m が直後の子音に同化した鼻音に変化し、それをまとめて ṃ で代表して表記していると理解しています。間違ってるかも)

 

タイ語の綴りをもう一回見てみます。

日本語だと「ン」になっているのでわかりませんが、タイ文字では前側の「ン」がちゃんと ŋ を表す字になっていて、これもサンスクリットから引き継いできたのかなと想像することができます。

 

 

まとめてしまうと

ソンクラーンは「移動、通過する」という意味の saṃ-√kram から派生した名詞 saṃkrānti「移動・通過・経路」が太陽の特定の移動を指す語として使われ、それがタイ語に入ったと考えられる、という、色々調べたわりに日本語版Wikipediaに対してほとんど情報量増えてない結論に落ち着きました。あれ…?

 

サンスクリットを調べるにしても最初からモニエルで saṃkrānti を引いていれば「ああ、Wikipedia合ってるな」でさくっと終わっていたかもしれません。

 

ただこうやって色々ごちゃごちゃ調べていると復習にもなるし、すごーくおぼろげな知識の断片がちょっとずつつながって興奮しますね、というお話でした。